聖霊降臨後第17主日 礼拝 午前10時30分〜11時45分

説教はマタイ20章1〜16節から〔主人のわがままと愛〕小賀野英次牧師

 「ぶどう園の労働者のたとえ」をイエス・キリストは話されましたが、これは一見すると不思議な譬えです。ぶどうの収穫を急ぐ秋の一日、主人は労働者を一日 1 デナリの約束で雇います。1 デナリは現在の価値にすれば 1 万 5 千円ほどでしょうか。当時、この賃金で家族がしばらく生活できるほどの額でした。

主人は夜明けに労働者を集め、さらに昼にも、夕方にも労働者を雇い続けます。やがて日が暮れ、主人は賃金を支払います。驚くべきことに、主人は夕方から働いた者たちを先に並ばせ、わずか 1 時間しか働かなかった者にも 1 デナリを支払ったのです。
当然、日の出から 12 時間働いた労働者たちは怒ります。自分こそ先に受け取るべきだ、あるいは 12 デナリもらって当然だと考えたからです。しかし主人はこう言います。「わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。 それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」

この主人の“わがまま”とも見える行為こそ、神の愛の姿です。この譬えは、神の招きに応じる者には、時間の長短を越えて、十分な報酬が与えられるという福音を示しています。そして神の愛は、遅れて来た者にさえ、優先して注がれるのです。
これは「遅れてよい」という意味ではありません。

神の招きを知らされたその瞬間に応答することが求められている**ということです。パウロはこう語ります。「今や、恵みの時、今こそ、救いの日」(Ⅱコリ6:2)
 神の呼びかけは“今”に響いており、応答する者には、神の恵みが満ちあふれるのです。(記:小賀野英次)