主の昇天 礼拝 午前10時15分〜11時45分
説教はルカ24章44〜53節から
〔「三つの時」を生きる者への恵み〕廣野善彰牧師
*C.ネヴダル宣教師はご長男が病気で入院することになり、付き添う必要が生じたため説教が出来なくなりました。そこで、廣野が急遽交代することになりました。
私(廣野)にとって「主の昇天」は、理性ではすんなり納得しにくい出来事の一つでした。しかし、〔聖書の語ることだから〕と心に深く納め思い巡らしていく内に、大きな慰めと祝福をいただくことができるようになりました。
ルカ24:50~51には「イエスは、…手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」とあります。使徒1:11には「イエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」と記されています。 ということは、主イエスは弟子たちを離れて行かれたけれども、再びお出でになるまで「祝福し続けてくださっている」ということ。主イエスの祝福の内にいつも置かれている~とは、何と幸いなことでしょうか。

