牧師としての最初の働きは津山福音ルーテル教会でした。9年間の働きの後、姫路福音ルーテル教会に赴任することになりました。
1.人事異動の理由
姫路福音ルーテル教会では宣教団体から幼稚園を移管され、幼児のキリスト教保育の働きを担うべく運営していました。どこからの援助もなく独立採算で運営されていましたので経済的に行き詰まり、役員会は「閉園やむなし」と決めたのでした。 ところが保護者やその他の人たちから「継続して欲しい」との強い要望があり、結局役員会は変更を余儀なくされ継続することになったのです。
継続するに当たって教会の混乱をおさめるため、また園長を引き受けてくれる人ということで、私が牧師・妻が園長として姫路教会に赴任することになりました。私達が先ず取り組むべきは幼稚園の運営を今後どうしていくか〜この難題に取り組むことでした。
2.幼稚園問題
(1)まずしたことは
二人の大先輩に相談することにしました。まず経験豊富で大恩人でもあるM牧師を二人で訪ねました。すると師曰く「キリスト教会が幼稚園を運営していく使命の時代は終わった。現在は公立でも十分やっていける体制になっている。だから、君たちの責任ではない。やめたら良い。」
今一人は元園長、鉄の女とも言われたD宣教師を訪ねました。師曰く「幼稚園は絶対やめてはいけない。幼児のキリスト教保育、伝道はとても大事な働き。放送伝道・海外伝道など他の働きのための献金をやめてでも続けるべきだ。」「やめたらいい」「やめるべきでない」〜二人の先輩実力者からのアドバイスは正反対でした。
「じゃあ、私達はどうしたらいいか? どうすべきか?」お二人のアドバイスは私に明確は方向を示してくれることになりました。やめても良し。続けるも良し。ということは、ここに召された私と妻が「どうしたいのか?」〜そのことにかかっていると。
妻は幼児教育・伝道に使命を覚えて歩んできた。またその能力もある。ならば「幼稚園の働きをさせてもらおう」私たち二人の決意は定まりました。
妻は幼児教育・伝道に使命を覚えて歩んできた。またその能力もある。ならば「幼稚園の働きをさせてもらおう」私たち二人の決意は定まりました。
(2)あらゆる知恵・手段を祈り求めつつ
保育料だけでは、経済的に成り立たないのは誰が見ても明らか。では継続するためにどうするか? あらゆる知恵・手段を祈り求めつつ必死に取り組む日々が続きました。
*妻の園長としての手当(謝儀、給与)は無しとしました。
*急場を乗り越えるために、一度だけ教会員の方々に特別支援献金をお願いすることにしました。
*教会付属の幼稚園ならではの内容ある保育、保護者の方々への充実したプログラムの提供に尽力しました。週日の保育内容はもちろんですが、園児のための礼拝や母の会での聖書からのメッセージをはじめ幼児教育に役立つ内容の提供など、力を注ぎました。
*最初の年度での「卒園式」
園児数は十数名。翌年の春卒園するこどもは5名。「5名の卒園式でも寂しくならない、教会付属の幼稚園ならではの卒園式にしよう」そう考え実施したのは、卒園していく5名のこども達一人一人に、牧師・園長・教師2名がそれぞれに頭に按手して祈りをささげることでした。
園児数は十数名。翌年の春卒園するこどもは5名。「5名の卒園式でも寂しくならない、教会付属の幼稚園ならではの卒園式にしよう」そう考え実施したのは、卒園していく5名のこども達一人一人に、牧師・園長・教師2名がそれぞれに頭に按手して祈りをささげることでした。
一人一人のこどものために、家族のために、将来のために、泣きながら祈る教師もいました。保護者の方々もずいぶん感動してくださいました。卒園式に出席しておられた一人の保護者の方は、それ以来遠くの地にいかれましたが今日まで関係が続いているのです。
感謝なことに翌年から園児数がだんだん増えていくことになりました。