(1)「東芝 姫路工場 製品技術課」で働いていました。
そのことを家族はとても喜び、私も好きな領域でしたらやりがいを感じ励んでいました。ところが、新しく赴任された牧師が私に声をかけてこられたのです。「君、聖書学院に行ってみないか」〜これには驚きました。
〔信徒のための聖書を学ぶ学校〕とは言え、行くとすれば一年間休職しなければなりません。そんなことは、特別な事情がない限り会社が許すはずがありません。大企業で安定した生活と将来が約束されている。好きな仕事でもある。ですから、クリスチャンとして,会社員として励んでいくつもりでした。
(2)どうしようかと随分迷いに迷いました。
聖書学院とか神学校、教会で働く〜そうした世界がどのようなものか、全く知らないのですから。迷ってみても、結論が出るはずもありません。その牧師は人を洞察し育てるすぐれた能力をもった方でした。
結局、私はその牧師とその人柄を信頼して、心を決めることにしました。「私のような者でも、何か人さまのお役に立てるかも知れない」〜その思いで、会社を辞め聖書学院・神学校への道を踏み出そうと考えるに至ったのです。
(3)報告のために故郷に帰った時
私が一番信頼していた兄(兄も私を信頼してくれていました)は言いました。「もう少し人生経験を積んでからでもいいのではないか。若造が人の道を語っても人は耳を傾けてくれないぞ」と。もっともなことばで、今も心の深みに刻まれ残っています。
母は私を信頼し、クリスチャンになったことは喜んでくれていたのです。しかし、会社を辞めて献身すると言うと、「これからは会えなくなり、結婚も出来なくなる」と本気で心配をしてくれました。母の頭にはカトリックの「修道院に入る」というイメージが強かったのだと思います。