(1)熱心でした!
信仰生活の中で与えられた「みことば」によって劣等感から解放された私は、会社勤めにも、日曜日に教会に出かけることにも熱心に励む日々が続きました。教会では礼拝出席以外に、青年会活動にも積極的にかかわりました。教会学校(こどもたちのための礼拝と分級)の教師として奉仕。教会からかなり離れた教会員の家庭でも、子供たちのための集会を熱心に続けました。
今思い出しても、会社勤めをしながらよくぞあれだけの奉仕が出来たと思います。
(2)疲れてきました!
やがて、疲れを覚えるようになってきました。当然といえば当然〜月曜日から土曜日は会社で、日曜日は教会で過ごす〜という、言わば体を休めることのない日々が続いていたのです。あわせて内面的には、仕事(会社勤め、暮らし)は仕事、信仰(教会での活動)は信仰と、別もののように理解していたように思います。
(3)こんなことで良いのか?
疲れを覚える中で気づきはじめました。仕事は仕事、信仰は信仰(奉仕)と分離した二本立ての暮らしは、本当のキリスト信仰ではないのではないか?
あらためて聖書の教える信仰と暮らしの「ありよう」を求め始めました。