(4)あれほど緊張したにもかかわらず、それ以来不思議と熱心に通っていました。
私にとってそこは初めて経験する「安心できる、あたたかい居場所」だったのです。
その教会の日本人牧師の説教は失礼ですが、あまり上手ではありませんでした。時々、ノルウェー人宣教師がお出でになって説教されました。その方は日本の諺をよく勉強なさっていて、説教の中でたくみに引用し、しかもユーモアたっぷりに話されるのです。「あの日本の諺に堪能なノルウェー人宣教師は来ないかな~」と、不謹慎にも思っていました。
もちろん、説教もちゃんと聞いてはいましたが、それだけで熱心に教会に出かけていた〜というとチョット嘘が入ります。その教会には付属幼稚園があり、若く優しい女の先生がいて、日曜日の礼拝に行くと、なにくれとなく優しく声をかけて下さるのです。青年の私にとっては心トキメク嬉しい経験でした。不謹慎ではないか〜と思ったこともありましたが、後に書物を通して、有名な牧師で伝道者のH師も、有名な作家のE氏も同じ経験をなさっていたことを知り、ホッと安堵したことでした。
真理を求めて熱心に教会へ〜そんな人ばかりではなく、人はさまざまな動機で教会の門をくぐっていると知ったのは、しばらく経ってからでした。
(5)いつの間にか教会から足が遠のいていました。
時が経過するうちに、いつの間にか教会に行かなくなっていました。行くのを全くやめてしまったか〜というとそうでもなく、またなんとなく思い出したように行ってみたり。そんな時期がしばらく続いたように思います。そこにはそれなりの理由もあったのです。