(1)死の間近な人のために
病気で伏せっておられる一人の教会員の方をお見舞いに出かけたときのことでした。枕元で何名かの信仰の友と共に賛美し聖書のことばを読み、祈りを献げました。そして、最後に声をかけたのです。「また教会の礼拝でお会いしましょうね」と。
何ということを言ってしまったのか…。死が近い方に「また教会で」など不可能なことを言ってしまった配慮のなさに、牧師館に帰り、未熟な我が身の姿に落ち込んでしまいました。
「そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「主はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」 2列王記 20:1
預言者イザヤのように、しっかりと状況をわきまえて、適切なことばを語る牧師になる必要を痛感した次第です。
(2)お葬式の後〜埋葬にて
あるご婦人のお葬式をさせていただいた時のことです。田舎のことですから埋葬は土葬でした。家族、近隣の方々が取り巻く中、棺が埋葬され土が盛られ、桧造りの十字架の墓標が立てられました。そこには「故・誰それの墓、右壁面に生年月日、左に召天年月、裏に「私たちの国籍は天にある」との聖書の言葉が黒々と書き記されています。
土がかぶせられていく間、ジッとそれを見つめていた時、「ああ、この方の50数年にわたる生涯~色々なことがあったはずなのに、記録されるのはこれだけですか?」~そのことに思い至った時、突然聖書の語る「復活」の希望、そのかけがえのなさがはっきりと納得できたのでした。
牧師のくせに~と言われるかも知れませんが、その時やっと「復活」の出来事への確信と納得が与えられたのでした。
(3)生かすために生きる
ルター研究で有名な徳善義和先生を特別礼拝にお招きしました。その時の一つの説教はルカ5章から、主イエスによってペテロたちが弟子として召されていく個所でしたが、私の生き方を明確にしてくれる決定的なものとなりました。
〔「あなたは人間をとるようになるのです。」この「とる」とは原語では「生け捕りにする」と訳されることばで、「魚をとる」時の言葉とは違う。自分を生かすために魚(他のもの)を取り、食べ、売る。そういう自分本位の生き方から、「生け捕る」他者を生かすために生きる~それがキリストの弟子としての召命だ~そこで職業倫理のコペルニクス的転換が起こった!〕と。
このメッセージにふれて以来、夫として妻を、父親として子供たちを、牧師としてかかわっていく人々を、生かすために生きる~それがクリスチャンとしての私の生きる基盤、指針、喜びとなったのでした。
(4)愛は神から
特別伝道礼拝にちいろば牧師で有名な榎本保郎先生をお招きしました。その先生の書かれた著書を皆さんに紹介し、期待に胸を膨らませながら当日を迎えました。自らの失敗をユーモアを交えて語りながら、ビシッと大切なメッセージを語る方で、私にとっても大変恵まれた時となりました。
特に次の内容は分かっていたはずですが「目からウロコ」でした。
〔愛は自らのこころから絞り出すものではない。そうしようとするから事切れて「仏の顔も三度」となる。お互いの愛の持ち合わせには限りがあるから。
そうするんじゃない。「愛は神から出ているのです。」信仰をもってそれをいただいていく。そのことによって、「互いに愛し合う」道を歩んで行けるのだ。〕
そういった内容のメッセージは、語られたご自分の体験話しとともに、私にとって忘れられないものとなりました。
「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 」1ヨハネ 4:7