(1)会社を辞めたのは間違いではなかったのか?

 救いの喜びを明確にされたのは良かったのですが、進路についての迷いが生じました。「私は本当に牧師にふわしい者だろうか」「進む道の選択を誤ったのではないだろうか」と思うようになっていました。
 

(2)道が開かれるなら進がよい!

 そこで、かのウインテル博士の部屋を恐る恐る訪ね、アドバイスを求めました。
九州訛の日本語で話される博士は詩篇25篇を読み、孫ほどの年齢の私におおむね次のような話しをしてくださったのです。
特に8節に注目させてくださいました。「主は、いつくしみ深く、正しくあられる。それゆえ、罪人に道を教えられる。」
 
 〔自分は中国伝道に行くためにデンマークを出てきた。支援者をアメリカでつのり、九州までたどり着いた。次のサポートのお金が届くのを待っていたが、なかなか届かない。そのようなかたちで祈り願っていた中国への道が閉ざされた。しかし、目を上げてみると、一人の大変すぐれた日本人牧師との出会いもあって、「日本での働き」に道が開けていた。…それ以来、私は今日に至るまで日本伝道のために我が身を献げて働いてくることができた。
 
 だから君も、道が開かれるなら主の御心だと信じて進んだらよい。別の道に進むのが主の御心なら、その道は何らかのかたちで閉ざされる。そこで失望してはいけない。良く見渡してみることだ。主は必ず別の道を開いておられるよ。〕
 
 このアドバイスはそれ以後、いずれの道を選択すべきか迷う時の本当に素晴らしい道しるべとなり続けたのでした。