(9)揺さぶられる信仰
 会社を辞め、聖書学院・続いて神学校で学んでいた頃。「キリスト信仰は本当に信頼に足りうるのか」と、恩師から、さまざまな疑問をぶつけ られました。未熟な私の信仰はぐらつき迷いました。(思い返すと恩師自身も神学的問題をかかえて苦悩葛藤し、自らの疑問・問題を私にぶつけておられたようでした)「お前にとってイエス・キリストはどんなお方なのだ?…祈っても祈っても沈黙されるキリスト〜それでもなお信じて行くのか?…」 
 

 恩師からぶつけられる厳しい問いかけに戸惑い迷いながらも、そのことによって私自身の信仰のありようが深く問われたのです。「やっぱり私は、私の罪を十字架にまでかかって贖ってくださったお方から離れることは出来ない」との強い確信へと導かれたのでした。

 日々、自分の醜さを示される私。その解決・処理をイエスがしてくださる。我が苦しみを共に苦しみ、共に歩み、慰め癒し立ち上がらせて下さる。そのありがたさは何ものにもかえがたいのです!