(4)幅広く見識を深めさせようとする神学校長の配慮

 聖書に関する専門の教師はもちろんですが、ときにはお坊さんを講師に招いての授業もありました。武道家や催眠療法師、全人医療を目指す新進気鋭の医師などなど、さまざまな領域で活躍している人材との出会いは、とても貴重なものとなりました。

 台湾にあるルーテル神学校を訪問するプログラムも提供されました。アメリカの客船で神戸港から基隆港に到着。3週間くらいだったでしょうか、台湾の神学生と共に学んだり交わったり〜ことばの障害はありましたが、漢字を書いて意思疎通を図るなど懐かしく楽しい思い出です。神学校でのプログラムの後は、2人ずつ別れて台湾各地の教会を訪問し、証や説教をさせていただきました。

 別の機会には韓国の教会にも出かけて、数日間過ごす経験もさせてもらいました。
 

(5)学びに合わせ実践にも力を!

  授業の一環として、教師と神学生6名揃って色々な教会を訪ね、その教会の伝道プログラムに奉仕をするというプログラムもありました。「伝道説教」のありよう、初対面の方々との関わり方等、恥ずかしい思いでばかりですが、実践面での訓練にも力を注いでもらったことでした。

 前にも触れたように、毎週日曜日は教会に出かけての奉仕です。ある年は母教会で、別の年には別の教会で。奉仕の内容は教会によって異なりますが、説教であったり、教会学校の奉仕であったり、会堂の清掃管理であったりと多義に渡りました。頭でっかちにならず、汗水流して教会の仕える器に育てようとの方針でした。
 

(6)文化の違いからくるキリスト信仰のありよう

 神戸ルーテル神学校の創立当初から深く関わって下さっているノルウェーからの教師たちとの出会い〜キリスト教の歴史の長い背景から醸し出される信仰のありようは、とても貴重な出会いとなりました。

 それと同時に、同じ信仰を表明するといえども、国の事情や文化によってその受け止め方、暮らし方、生かし方が異なっていることは、私にとって大きなチャレンジとなりました。日本という国と文化の中で生まれ育った私がキリストを信じた〜その目に見えない信仰はどのように受け止められ、どのような生活・文化を生み出していくものか? ヨーロッパナイズされない〔日本人ならではのキリスト者のあり方〕があるのではないか!

それはカトリックではありますが遠藤周作や井上洋二神父が取り組んだ課題でもあったと思います。私にとっても今日まで続いている大きな課題です。