(1)悩みは尽きないけれど
記憶はさだかではありませんが、何かの要件で彼女から手紙をもらいました。その文面から彼女も私のことを快く思っている〜と察したのです。いっぺんに心は青空! 遠慮しながらも、さる有名な公園散策に誘ったのでした。
とはいえ、本当に「この人と結婚し、生涯を共にしてよいのか?」その課題は続いていました。必死に結婚にかかわる聖書カ所をむさぼるように読みました。また、キリスト教関係の結婚に関する書物を血眼になって読みあさりました。苦しい葛藤の日々でした。
(2)光が見えた!
苦しい日々の取り組みの中で、判断の助けになる文章に出会いました。〔人は右手に聖書を持って立派なことを言っているが、左手にはソロバンを持ってちゃんと計算しているものだ〕そんなことを記した文章でした。人間の本質を見抜いたことばに深く頷くところがありました。
生涯の伴侶を選ぼうとするとき、ほとんどの人がソロバンの珠を入れる。「こうであって欲しい。ああであって欲しい。こうでなければ…)と数々の要望を入れていく。しかし、珠を入れ過ぎると、そんな人はどこにもいるはずがない。大事なことは、どこかで珠をおろしてみることだ。「これはなくてもいい。あれはなくても一緒にやっていける。……」ただし、全部おろしたら「女性なら誰でも良い」ということになる。それはおかしい。「これだけはおろせない〜という珠を確かめてみればよい。」
苦しい日々の中で、ソロバンの珠をおろす作業が出来たのです。「これさえあれば、(他のものはあったにこしたことはないが)一緒にやっていける!」その境地に達したとき、私の心は定まりました。「この人と結婚しよう」
聖書のことば=「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」 1コリント 6:20
何はなくとも、共に神の栄光を現すことにおいて心が通じ合う人なら、一緒に歩んで行ける。私の心は平安に満たされていました。