(5)当時、生きることの空しさと悩みを癒そうとして出かけたのは、映画館でした。

映画を観ている間は、主人公になったつもりでいい気分になれるのです。でも、これはますます心に餓え渇きをもたらしました。映画館を出ると、現実の生活はまるで違っていて、そのギャップに落ち込んでしまうのです。

(6)二番目は本を読むことでした。

図書館に出かけて、何かヒントになるものはないものだろうか?と物色するのですが、どんな本を手に取って読めば、生きるヒントが得られるのか、見当もつかず、難しい哲学書コーナーをうろうろしたこともありました。

どんなきっかけだったか記憶はないのですが、武者小路実篤の本に出会いました。それからは、夢中になって同じ著者の本を次から次へと貪るように読み進んでいきました。その中で出会ったことば「我は何のために生まれたかは知らず。されど美しく生きたきものなり」〜「これだ!これだ!これで行こう!」不思議な力が湧いて来たのです。

それと同時に、彼の著書に出てきた「トルストイ」に心をひかれるようになりました。手に入りやすい文庫本でトルストイの作品を読みすすんでいくうちに、キリスト教精神に深くふれるようになっていったのでした。

(7)いま一つは、「ルーテル・アワー《このひとを見よ》」という30分のキリスト教のラジオ放送でした。

ドラマ仕立ての内容で、毎回感動しながら「ああ、僕もそんな生き方がしたいなぁ」と、強い願望が芽生えていったのです。